1998年11月:『ビートルズのお宅探訪』





PHOTO: (C) The Beatles Club

1965〜67年にかけて、『ビートルズ・マンスリー・ブック』のカメラマン、レスリー・ブライスはジョン、ジョージ、リンゴの自宅を訪ね、『ビートルズ・マンスリー・ブック』用の「家でくつろぐシリーズ」の撮影を行なった。

いちばん最初は1965年10月7日、ジョージの家、サリー州イーシャーにあるバンガロー、キンファウンスを訪ねた。ここはジョージが1965年2月から1969年12月まで住んでいた家だ。話はちょっと横道へそれるが、ジョンがニューヨークで暮らしたダコタ・ハウスは、ダコタ・アパートとも呼ばれており、「なぜジョンのような有名人がアパート暮らしなのだろう」と思ったという人の話を聞いたことがある(アパートメント・ハウスはアメリカで高層集合住宅を指す。イギリスではフラッツと呼ぶ)。

ジョージの家がバンガローというのも、「キャンプで泊まるあれ?」と不思議に思ったりしないだろうか。バンガローというのは今世紀初頭にアメリカで流行した庭付きの平屋建築(屋根裏部屋があることが多いそうだが、キンファウンスはどうだったか不明)のことで、「キャンプのあれ」ではない。このころ4人がマイ・ホームに求めたいちばんの条件は「ビートルマニアからプライバシーを守れること」だったが、ジョージのこの家はレンガ造りの高い塀で囲まれていて、さらに入口には電動ゲートを装備していた。ビートルズのなかではいちばんにとり入れたのだという、ジョージらしいエピソードである。1966年1月に結婚したパティ・ボイドと、もっともラブラブな時期を過ごしたのもこのキンファウンスだ。

ブライスが次に撮影に訪れたのは1966年5月31日、ウェイブリッジの高級住宅地セント・ジョージズ・ヒルにある、リンゴの家サニー・ハイツだった。リンゴはこの家を1965年7月に購入し、1968年11月まで住んだ。チューダー朝様式を模したコテージ(いなか家)風の家は、引っ越しの前に全面的に改修されたのだが、リンゴみずからがあれこれ指示を出し、ときには大工さんや庭師たちといっしょに作業したり、外で食事をしたりしていたというから驚く。新婚のモーリーンとふたりで入居したこの家を出るときには、長男ザックと次男のジェイスンを加えた4人家族になっていた。

3番目は1967年6月29日、ジョンが1964年7月から1968年夏にシンシアと別れて家を出るまで住んでいた家ケンウッドだ。ケンウッドはリンゴのサニー・ハイツと同じ地所にあり(ほんの1キロ先)、建築様式も同じチューダー朝の、27部屋もある邸宅だった。

チューダー朝様式というのは、16世紀のエリザベス1世時代の建築様式のこと。ルネッサンス期のモチーフをとり入れた、スケールの大きな木骨造りと変化に富んだ輪郭を特徴とする建築だ。

イギリスでは土地の所有権などに古くからの決まりがあり、一般人が家を持つということは、こうして古いお屋敷を買って改修して住むということだった。また、なぜそんなにたくさんの部屋が必要なのだろう、と気になったことはないだろうか。それは、家の格付けが高くなるほど、きちんとした細かい用途別の部屋を備えるしきたりが残っているからなのだ。ポールやジョージ、リンゴが育ったリバプールの小さなテラス・ハウス(棟割り連続住宅、日本風に言えば長屋)でさえ、キッチン、食堂、居間そして家族の寝室は狭いながらも独立した構造になっていたはずだ。

ジョン独特のセンスでエキセントリックに飾り立てられた豪奢な屋敷ケンウッドの写真は、この「家でくつろぐシリーズ」のハイライトと言えそうだ。

最後に、ポールの家はこのシリーズには出てこない。『ビートルズ・マンスリー・ブック』の撮影が行なわれたポールの家と言えば、リバプールのフォースリン・ロード20番地の家があるが、こちらは復元され1998年7月に一般公開された。BCCのツアーにも組み込まれる場所なので自分の目で見ることをおすすめしたい。月刊誌でも特集する予定だが、今すぐ見たい方はB'netのコンテンツ「マジカル・ミステリー・ツアー」をどうぞ。


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