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オノ・ヨーコ、ジョンの最期の日について『ニューズウィーク』誌に寄稿


アメリカの『ニューズウィーク』誌(6月28日号)が"VOICES OF THE CENTURY"という特集を組み、そのなかの1964〜80年のコーナーに、オノ・ヨーコがジョンの亡くなった日について書いた寄稿文が掲載されている。『ニューズウィーク』日本版でも「20世紀の証言」として7月14日号に転載。
ヨーコはまず『ダブル・ファンタジー』のキスをしているジャケット写真にまつわるエピソードを紹介し、それから12月8日のことについて、「ウォーキング・オン・シン・アイス」のセッションのあいまにジョンから一生忘れることのできないような愛の言葉を贈られたこと、ジョンがショーンの顔を見るのを楽しみに家路を急いでいたことなどを綴っている。
また、ヨーコは突然襲った悲劇のなかでなにを考え、どのような気持ちでいたかをも克明に綴っている。ジョンが運び込まれた病院から戻ってきて直観的に思ったのは、ジョンが亡くなったことを、すぐにポールとジュリアンとミミおばさんに知らせなければならないということだったという。それにもかかわらずだれとも電話がつながらなかったことに、ヨーコは運命的なものを感じ、ほかとの連絡が断たれてしまっているのは、自分たちが祝福されない結婚を選んだ時点であともどりできない状況をみずから作ってしまったせいだと思わずにはいられなかったと、そのときの心境を明かしている。絶望のなかでは、「まるで自分が海の底にいて、早く水面に顔を出して空気を吸おうともがいているような気持ちでした。一瞬一瞬が精いっぱいで、自分がどのようにして体を動かしていたのかさえ覚えていない」と書き、ただひたすらそこからはい出るよりほかに方法はなかったという。
さらに、ジョンのあとを追って自殺したファンがいることを聞かされたヨーコは、「世界中の人たちみんながいっしょに瞑想し、その静けさを分かちあうことがたいせつだと思い」、世界に向けて、ジョンのために夜を徹して祈ってくれるようにとメッセージを送った。「そうやって世界をとりまく輪のようなものを作ったのです」とヨーコ。「でもジョンが亡くなった晩に、ダコタの前に集まった人たちがジョンの歌を歌う声を聞くのは、ほんとうにつらいものでした。私は72番街に面した夫婦のベッドルームにひとり座っていました。ジョンはひと晩中歌っていました」

そのほかこの特集には、1964年2月にビートルズが初めてアメリカを訪れた際に、テレビ番組『エド・サリバン・ショー』で競演したコメディアンのフランク・ゴーシンの回想も掲載されている。


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