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アメリカでジョンのチャリティ・アート展開催〜オノ・ヨーコ、ジョンのアートワークについて語る


スケッチ集“REAL LOVE: THE DRAWINGS FOR SEAN”の出版に続いて、ジョンの線画をフィーチャーしたアート展が、9月3日から5日までコネチカット州ハートフォードのヒルトン・ハートフォード・ホテルで行なわれ、その後全米を巡回する。入場料は2ドルで、収益金は恵まれない子どもたちのための非営利の医療団体オペレーション・スマイルなどのチャリティへ寄付される。
アート展開催にあたって、先ごろヨーコはダコタ・ハウスで電話インタビューに応じ、ジョンとアートワークについて次のように語った。
「理解しておいていただかなければならないのは、ジョンはどんどん絵を描きなさい、という環境になかったということです。理由のひとつは、ジョンがビートルとしてあまりに有名だったこと、もうひとつは、自分の絵の個展が開けるようなギャラリーを見つけられなかったことにあります。ジョンが絵を描くことに、世の中の人たちはいい顔をしていなかったわけですが、それでもジョンは絵を描き続けていました。描かなきゃいけないと、どこかで思っていたようですね」
「ジョンは自分の能力に非常に自信を持っていましたし、個展を開くチャンスをいつもうかがっていました。アーティストが作品を作るのは、ほかの人たちとダイレクトにコミュニケーションをとるためであって、棚に飾ったり、クローゼットにしまい込んだりするためではないのです」
「ジョンは今回のような個展を開けたことを喜んでいるはずです」
ジョンの作品への評については次のように語った。
「『こんなものは(有名人がひまつぶしに描いた)ただのいたずらがきだ』と言う人もいますが、実際ジョンはなにをするにも、ものすごく手早くやってしまう人でした。曲を作るのも早かった。ピカソがささっと手早くなにかを仕上げたなら、人は『これはすごい、さすが天才だ』と言うのでしょうけれども」
「私がジョンと出会ったときには、ジョンはもう自分のアートに関する能力にかなり自信を持っていました。ツアーをやめたあとの休暇には、油絵を描いていましたよ」
ヨーコは躊躇していたジョンに個展を開くように勧めたという。
「ジョンは、自分がビートルズのメンバーで音楽が本業だという理由で、絵を描いても受け入れてもらえないのではないかと心配していました」
そして1970年にロンドンでリトグラフの個展「バッグ・ワン」を開くと、わいせつだという理由で警察に作品を押収されてしまった(その後作品は返され、現在ではニューヨークの近代美術館に常時展示されてもいる)。1971年にニューヨークへ渡ってからも、個展こそ開かなかったが、絵を描き続けた。今回のアート展で展示されている‘Suddenly 38’や‘Morning Coffee’、‘Peace Brother’などは、ニューヨークに住むようになってから描かれた作品だ。ヨーコは展示する作品を選ぶのに、非常に神経を使ったという。
「ジョンは自分が有名人であるということや、そういった社会的に占める自分の位置をとても意識していました。ですから、自分の気に入ったようにできなかったものは、破いたりめちゃくちゃに壊してごみ箱にほうり込んでしまうんです。そういうところにはとても厳しかったんです」


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