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近況インタビュー!ポール・マッカートニー『詩、絵画、結婚、ジョン』など語る


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インタビューで、ポールは、詩集に取り組んでいることを打ち明けた。
「友人のアイバン・ボーン(Ivan Vaughan)が亡くなったときから、僕は詩を書き始めた。誰かの死についての曲を作ることは出来なかったから、この詩を書き始めたのさ。告別の意味を込めたもので、そこから始まったんだ。…僕は、単なるポップ・アーティストのままでいたくはない。僕は全てをリスクをかけてやりぬく性格なんだ。だから、クラシック音楽にも手を出したし、いろんなものに興味がある。それが問題でもあるんだけど」。
 アイバン・ボーンはビートルズの前身であるスキッフル・バンド、クオリーメンで、茶箱で作ったベースを弾いていたポールと同じ年の学友。パーキンソン病で亡くなった。ポールをジョンに紹介したのは、このボーンだった。未来のビートルズになる二人は、まだ10代のときに母を亡くした悲しみを分け合ったのだ。
「多くのことが抑圧されていた。‘イエスタデイ’はそういったことに影響を受けて出来た。だから、その歌詞のなかで‘昨日、すべての悩みは遠くにあるように見えた’と言っているんだ」

 ポールは亡き妻リンダの肖像画を数多く残している。
「肖像画をたくさん描いたね。彼女をうまく表現しているって言えるものは一枚もないんだけど、どの絵も彼女の本質はとらえていると思うんだ。彼女は、絵にするには、うってつけの顔だった。首が長くて、ゴージャスだった。僕らは、よく夜更かしをしてね、彼女を描いたものさ。30年というのは、一緒に乗り越えてきた時間としては長いほうかもしれない。彼女には、内に秘めた強さがあった。それに、とても強い印象を与える人だった。子どもたちが言うには、寂しさを感じるのは、部屋に入るだけで彼女の存在を感じるからだってね。絵を描くことは僕にとって、あんな風に誰かを失ったときでも人生をしっかり支え
るために必要なものなんだ。僕が描いたリンダの絵は、かなり混乱している。でも、いくらか力強さもある」
 また、ポールはサー・エドワード・ヒース、アンディ・ウォーホル、デビッド・ボウイ、そして、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの先妻、パティ・ボイドなどを描いている。
 もっとも論議を醸しそうなのが、「初めてのたばこを吸った後の女王」と題された絵だろう。作り笑いを浮かべた女王陛下を描いている。今でも地下鉄に乗っている自分は十分にプロレタリアンだと言うポール。
「彼女がたばこをたしなむかどうかわからない。でも、そんなことは、本当にどうでもいいんだ。これは愛情表現なんだよ。別に王制主義に反対してるわけじゃないんだよ」
彼はこう付け加えた。「彼女は、よく、ちょっとしたジョークを用意してるんだ。彼女に初めて会ったのは、ロイヤル・コマンドでビートルズが演奏した時だった。そのとき彼女が ‘明日の晩はどこで演奏するの?’って聞いたんだ。‘スラウ(Slough、訳注:イングランドBerkshire北東部の工業の町)です。女王陛下’と僕が言ったら、‘あら、うちのすぐ近くね’って彼女は答えたんだよ」
「ちょっとしたジョークさ」と彼は目を輝かせた。ロック仲間のデビッド・ボウイについてはもう少し注意を払っていたようだ。「報道機関がそいつを理解する前に、彼に前もって言っておいた方が良いかもしれないな」。ポールは、マグリット(Magritte)の画架(これはリンダからの贈り物である)を使って絵を描いているが、自分の芸術性についてはひどく謙虚である。
「僕が絵を描くのは楽しみからで、生活のためじゃない」と、自分の個展についてはリラックスした様子で語る。その個展は、今月末ブリストル(Bristol)で開かれる。

 とは言え、ポールも彼の音楽作品に対して、この新しい芸術は失敗だったと判断される心配をしなくてはならない。「芸術というものに対してトラウマがあるんだ」と彼は認めている。
「みんなは、全くのアーティストでない僕を好いてくれるんだ。でも、僕自身に言い聞かせてることは、愚かで嫌な奴にはなるなってことさ。僕は、見せかけだけのものになっていった。一つは、自分自身に、絵を描くのは友人ルイジのためであり、彼のレストランのアルコーブのためであると言い聞かせるためなんだ。うーん、時には、厳しい批評家になったつもりで絵を見て、考えるよ。僕はあまりにもオープンすぎるかなって。心の中をさらけ出しているからね。リンダが言ったことがある。‘どうして個展なんてやりたいの?’って。その答えは、みんなが僕がここ数年何をやっていたのかと思っているんだから、僕の方でもちょっと反応してあげるのも悪いことじゃないんじゃないかって思ったんだ」

ポール、マハリシを訪問、ビートルズ時代と変わらぬ忠告「楽しむことだ」。 

 ポールは、最近二人の子供たちとともにマハリシ・マヘシ・ヨギ(Maharishi Mahesh Yogi)を訪ねたことも明かしている。マハリシは60年代にビートルズの訪問を受けている。
「愛すべき人さ。もう80代になっていて長い話は出来ないって聞いていたんだけど、結局、4時間も話してしまったよ。そのとき娘は、ビデオを撮りながら、彼に何かアドバイスはないかと聞いたんだ。「楽しむことだ」と彼は答えたよ。その思想は、少なくとも、首尾一貫しているね」

沈黙のミルズ(Unspoken Words Mills)

 また最近「沈黙のミルズ」という名の絵を描いたポールは、現在の恋人ヘザー・ミルズと今のところ結婚することはないと語る。ポールは、チャリティ・イベントを通して32歳のヘザー・ミルズと出会った。それから、彼女は、頻繁にイースト・サセックスのライ(Rye)の近く、ピースマーシュ(Peasmarsh)のポールの邸宅を訪れるようになり二人がロンドン・パークでキスしている写真を撮られたあと、5か月前から二人は結ばれたという。
「一番の懸案だ。でも、誰にもわからないことさ。今のところ予定はないけど、人生っていうのはどうなるか分らないしね。ここ2年間ずっと感じてきたものより心の状態が良くなってきているのは確かだね。みんなは言わないけど、時が辛いことを消し去って心を癒してくれるということさ。でも一方では、僕はリンダを忘れたくないという気持ちがある。彼女が生きていたときと同じようにね。癒しの解釈はいろいろあるんだけど、結局、みんな ‘これは結婚発表だ’みたいに言うんだ。僕らが関わったものはみんな死ぬ。僕らもやがていつの日か死ぬ時が来るだろう。だけど、みんなこの死ってやつとうまく付き合っていかなきゃならないのさ」
「私たちは今とても幸せよ。でも、それは、まだ、始まったばかりだわ」と、ヘザー・ミルズは語る。「結婚については、二人とももう少し時間をかけなくちゃね」
 
マルチ・アーティストのポール 

 ポールは、新しい形態や手法を編み出すことによって、常に自分自身を再生していた今は亡きパブロ・
ピカソ(Pablo Picasso)のようなマルチメディアなアーティストになったのかもしれない。一流の作曲家であるポールが絵を描いたり、詩を発表したりすることについて非難もあるだろう。
「どれも共存できるものなんだ」とポールは言う。
「イギリス人っていうのは、物事をはっきりと区別したがるからね。レオナルド・ダ・ビンチだって、最後は宮廷音楽家として終わったんだ。だから僕だって、画家として人生の最期を締めくくるかもしれないよ」
 インタビューの中で唯一このときだけ、彼はギョッとした様子を見せた。“マッカートニー、自分はレオナルド・ダ・ビンチだと広言”そんなヘッド・ラインを思い浮かべながら、彼は言った。
「これは載せない方がいいよ」。私は、彼が比較したのは“モナリザの微笑み”(“wry smile”)であることをはっきり書くことを約束した。「それでもって、編集者は‘モナリザの微笑み’
(“wry smile”)の方を採用するんだろ」と彼は楽しげに言った。
 
 
ジョンについて

「ジョンは僕の人生において中心的存在だ。いつもそうだよ。彼と、あんなに多くのうちとけた時間をもてたことを感謝しているよ。ジョンと僕は、カセット・プレーヤーができる前に曲を書いた。そんな前のことだなんて信じられるかい? 翌日には、創った曲を忘れてしまったなんてこともよくあったよ。彼の作品がだんだんと遠いものになればなるほど、それは、ますます優れたものに見えてくる」
 そして彼はこう付け加える。「僕はよくジョンの漫画を描いたものさ。彼は僕の知っている唯一の鷲鼻の人だったね。最近、ジョンの絵を描こうとして、自分がこう呟いているのに気が付いたよ。‘唇はどうだったかな、思い出せないな’ってね。それから思ったんだ。‘もちろん、覚えてるよ。二人は向き合って、いろんな曲を書いていたね’って」

プロレタリアンのポール 
 
 みんなが思っている平均的なロックのスーパー・スターのやることに似合わず、ポールは子供たちを(ファッション・デザイナーのステラも含めて)イギリスの公立学校へ通わせた。ミック・ジャガーの娘、ジェイドは、最近、彼等の普通の教育がうらやましかったと言ったという。
「リンダは金持ちの家の出身だ。彼女は、たくさんの間違った価値というものを見てきたんだ」とポールは打ち明ける。「僕はよく彼女に言ったものさ。‘僕と一緒に貧しい暮らしが出来るかい?こう言うと君はただ、僕がちょっとサディスティックに君をいじめてるように思うんだろうね。’彼女はよく言ってたよ。大きな家のたくさんあるハンプトンズヘ行ってしまいたいってね。そこにはたくさんのお金があるだけで、恐ろしいとこさ。愛もなく、とても高そうな彫刻が置いてあって、声が反響するような廊下を子どもたちが歩いているようなところさ」。
 しかし、彼の子どもたちはずっといじめられたのではないだろうか? 
「うん、確かにね。彼らは、マル・オブ・キンタイア(Mull of Kintyre)について嫌な思いをしたはずだ。だけど、それを早くわかって、どう扱うかを学んだと思うよ」
 ポールは、もし子どもたちをパブリック・スクールに通わせていたら、感情的によそよそしくなってしまっただろうと考えている。「まあ、僕はかなり有名だった。でも、だからなんだって言うんだい」と、もはや完全に名声なんかに興味を失った態度で言った。「いろんな母親がいることを知らなければならな
いし、彼女たちは‘ご結婚はどうなりまして?あら、ひがんでいるんじゃないの?’と言うかもしれない。彼女たちには、それが普通なんだし、だけど、それが彼女たちの生活なんだよ」
 ポールや彼の子どもたちの私生活は、どのくらい普通だったのだろうか? ステラは、公営住宅団地でほかの子どもと遊び、それが終われば、父の邸宅へ帰るという生活をしていた。
「それは違うね。僕たちの家は比較的小さい方だよ」と彼は主張した。「時々、友人の家に行って思ったよ。‘オー、僕ってリッチな友達を持っているんだ’ってね。彼らはそういった家に住むのが好きなんだろうけど、僕はそうじゃない。子どもたちもみんな僕と同じ考えだと思うよ。あの子たちは、こんなことを言ってる僕にうんざりしているよ。あの子たちは、僕がこういう話をするのを嫌っているんでね。でも、彼らは本当に思慮分別があると思うよ。リンダと僕は、彼らに教育を無理強いすることはないと言ったんだ。どうしてって、僕たちが、二人ともそうされたし、それでも違う方向へ行ったしね。彼らが思いやりの心さえ持っていればそれでいいんだよ」
「僕は今でも地下鉄を使っているよ。誰も使わないよね。一般の人たちでさえ使わない
んだよね。パリに行ったとき、メトロに乗ったら、みんなが僕を見るんだ。だけど、
こっちで無視していたら、そのうち、みんなも僕じゃないって思い始めたようだった
よ」
 プロレタリアンであることの楽しみは、仲間と発見にあこがれるほどではないにして
も、平等における信仰を意味するものではない。
「リバプール(Liverpool)では、僕は、よく、パイプをくわえてバスで移動したものさ。どれくらい見栄を張っていられると思う?僕は、自分がディラン・トーマスみたいだと思ったね。トーマスに関して言えば、僕は、彼が詩人になる夢を抱いていたかどうかを聞いているんだ。結局、レノン−マッカートニーが創った歌詞は、少なくとも、マージー・ビート・ポエッツ)と同じなのさ」

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