新着ニュース


ジョン・レノン・ミュージアム共同記者会見開催


10月9日(月)にオープンを控えたジョン・レノン・ミュージアムの共同記者会見が10月5日(木)午後3時より埼玉県与野市さいたまスーパーアリーナの同ミュージアム内で開催された。
当日は記者会見の前にプレス向けミュージアム内覧会が1時間予定されており、午後1時半の受付開始前から多数の報道陣が詰めかけ、記者会見場に収まりきれないほどの盛況だった。

午後3時、代表者のオノ・ヨーコさん、ミュージアム館長の菊池二郎氏、そして、ヨーコさんと大成建設との掛け橋となりおおいに尽力し、ヨーコさんよりミュージアムのアドバイザーを任命されている株式会社プロデュース・センター代表取締役の浜田哲生氏(また、企画構成・映像ソフト制作などもプロデュース・センターが担当)の3人が記者会見場に姿を現した。まず3分間のフォト・セッションが行なわれた。ヨーコさんは 白いスーツに身を包み、菊池氏と浜田氏の間に立ち、終始穏やかな笑みを浮かべながら、時折カメラマンの要求に応じていた。

菊地氏のあいさつでは、ミュージアムは単なるジョンの遺品を並べただけの展示場や熱烈なジョン・ファン、一部マニアのためのものにしたくないこと、できることならジョンが活躍したころまだ生まれていなかったジョンを知らない若い世代のために、ジョンの人となりや考え方を正しく理解してもらいたい、と言っても押しつけるわけではなく自由に受け取ってもらうための手がかりを提供することを心がけたいことなどが読み上げられた。その後、埼玉県からの要望で設立に踏み切った経緯にふれ、モットーは常に成長し続けるミュージアムであり、今後ひとりでも多くの人たちに見てもらい、建設的、具体的な意見を企画に生かしていきたいと、しめくくられ、つづいて、ヨーコさんから次のようなあいさつがあった。 ヨーコさんは「はるばるニューヨークから来たかいがあって、とってもすてきなミュージアムになっちゃいましたから」と場を和ませ、菊池氏、浜田氏の尽力に感謝のことばを述べ、続けて、ほかの国からもミュージアム建設の打診があったが、信用できなかった。オノ・ヨーコがまた、なにかやってると非難されるのが不安だったが、賭けをするような気持ちで引き受けた背景を打ち明け、その結果、自分の思いが理解され、本当に世界的な標準で、誇りを持って見てもらえるとほっとしたと述べた。また初めは良くても、成長することが大事であると強調、さらにジョンがほんとうに日本を愛していたこと、ジョンの今いるところを思えば、ミュージアムの場所がどこであろうと関係なく、宇宙的な感じを持っていると述べ、励ましの気持ちを持って見つめていってほしいと協力を求めた。

最後、記者会見のしめくくりとしてミュージアム・アドバイザーの浜田氏から、このミュージアムのたくさんある仕掛けについてひとこと。「エスカレーターを上ったところに一台の白い電話が置いてあります。これはヨーコさんのパフォーマンスです。タイトルは「テレフォン・ピース」。(ヨーコさんは、「ピース」は「PEACE」と書くの。「平和」という意味ね。とタイトルをみずから説明。)この「テレフォン・ピース(TELEPHONE PEACE)」でヨーコさんから、地球の裏側から電話がありますので、たまたまその場にいた人は電話に出てください。10月9日のオープンの日にもあると思います。そのほかにも見る人が見ればわかることがあるので、楽しみにしてください」という楽しい紹介があった。「その電話は1週間にいっぺんぐらいか、1か月にいっぺんになるかわからないけれど」とヨーコの照れながらのコメントに一同爆笑。和やかな雰囲気のなかに会見は終了した。


また、記者会見の間には質疑応答が行われていた。その様子を紹介する。
--------------------------------------------------------------------

Q.10月9日をどういう思いで乗り越えてきたか。
A.初めの1、2か月は震えるような気持ちでどうしていいかわからなかった。それからだんだんジョンとヨーコがいっしょにやってきたこと、ジョンの遺した仕事を一生懸命、世界に出していこうと思った、努力していくうちにジョンといっしょにいるような気がしてきて、ジョンの魂がそばでヨーコに話しかけているような気になったこと、ジョンの精神が世界に広がり、私たちひとりひとりのあいだに育っていき、それに対するお祝いという意識になった。
Q.ジョンを知らない人にジョンのどういうことを伝えたいか。
A.コントロールすることはできないと思う。アーティストとしてこれをこういうふうに見てもらうということができないことはわかっている。ジョンの歩んだ緊迫感のある人生をただ正直にお見せすれば、わかってもらえるのではないかという気持ちでいる。
Q.展示品はどんな基準で選んだのか。
A.ジョンは多面的な人だったから、それぞれを代表するようなもの、詩人だったため、言葉が非常に大事だと思って言葉を出した。
Q.地球の裏側、ブラジルへのメッセージを(ブラジルのテレビ局から)
A.最近ブラジルに行き、あたたかい気持ちで滞在した。息子ショーンがたいへんブラジルの音楽に影響されている。あと2週間ぐらいで行くのではないか。
Q.どうして日本にこのミュージアムを?
A.われわれの出会いは東と西でもあるし、掛け橋となったということ、平和のため、国境のない世界という観点から日本にあってもいいのではないかと思う。
Q.ジョンは神格化されることを恐れていた人だと思うが、そのような心配はなかったか。
A.ジョンは正直な人で、自分の困ったことを世界に報告していた。そういう意味で神格化されるはずが ないと思う。みんなに愛されたのは、彼が正直な人だったからであり、正直に彼の人生をお見せしてい る。懸念はない。
Q.日本のミュージック・シーンについてなにかひとこと。
A.ショーンがたいへん興味を持っているが、日本のバンドは標準が高いと思う。
Q.(ドイツの記者から)アリーナはたいへん商業的な場所だが、そういった環境だから選んだのか、それともミュージアムを置くことによって人が来ることの期待か。チャップマン受刑者が釈放されないことが決まったがその点どう思うか。
Q.ビートルズほど商業的なバンドは多分、世界にはない。(一同爆笑)ジョンもそのせいで世界とコミュニケーションが持てたわけだし、商業的なことは悪いことだとは思わない。互いに宣伝効果があればいいと思う。チャップマン受刑者の(釈放されないという)処遇に関してはその判断を尊重したい。
Q.大成建設に対してなにかひとこと。
A.最初は建設会社がミュージアムなんてできるのかしらと思ったが、できてみたら標準の高い、想像以上のものだった。
Q.日本のテレビを見てびっくりされたのでは?
A.ジョンは生きた人間的な魂であると思っている。どんどんテレビに出してあげたいし、ジョンの魂が現代の社会で生きていってほしいと思っている。
Q.ジョンに初めて会ったとき、どのように思ったか。
A.(初めての話ではないけれど、大事なことだから話しますと、個展で初めてジョンと会ったときのことを紹介。ジョンが「これでいいの?」と息をするしぐさを、楽しく身ぶりをまじえて紹介)すごくすてきなエレガントな美しい男性に思えた。
Q.ビートルズ・ファンへのメッセージを。
A.ジョンは強いエネルギーを持った人で、今でもそのエネルギーが世界に影響していると思う。ここへ来てジョンの魂から影響を受けて、自分の心に持って帰り、自分の力というものをどんどん育んでください。


[新着ニュース一覧にもどる]