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ヨーコのインタビュー 詳細


アソシエーテッド・プレス(Associated Press)が行なったインタビューで、ヨーコは、ジョンとともにした人生を語った。「きっと彼は、インターネットに飛びついていたでしょう。」
「笑いがなくなったわ。ジョンは、私を笑わせてくれた。特に私が困難にぶつかったときに。」
ロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)には、殺人が起きた夜、ジョンが掛けていた血の付着しためがねと、銃弾で穴のあいた洋服が入っている病院の袋が展示された。「ジョンの精神の中にある、“もうこれ以上、殺しあうのはやめよう。”という、強いメッセージは、とても大切なものなのです。」とヨーコは、説明している。「ジョンはいつも、世界平和のメッセージを送ろうとしていました。私もそれが正しいことだと思いました。」
20年たった今でも、ヨーコはチャップマンの名前を口に出せない。彼女は彼を「あの男(that guy)」と呼ぶ。「釈放に関わるいろいろなことに、ほんとうに感情を害しました。特にあの男が、公衆の前に出て、たくさんの報道陣の前でインタビューされたときは。あのときは、完全に打ちのめされたようでした。」
ヨーコは自分、ショーン、ジュリアンの身を案じている。また、チャップマンが、自分たちのところへ、戻って来るのではないかと恐れている。「『心配することはない』と言ってくれる人もいますが、何が起こるかわかりません。」当然、チャップマンの保釈は却下されが、2002年にもう1度審査は行われる。
セントラル・パークのストロベリー・フィールズでは、ファンがキャンドルに明かりをともし、ジョンの歌をうたう。「ショーンと私はいつも、窓枠にろうそくを立て、火をともし、みんなに『私たちもここにいるわ』と伝えます。」とヨーコは言っていた。
『ローリング・ストーン』誌がミュージシャンに、今ジョンが何をしていたと思うかと尋ねた。
「ジョンは、最先端のハードコア音楽をやっていたと僕は思うよ。」とレニー・クラビッツ(Lenny Kravitz)は言った。「きっとジョンは、ラップを愛したと思う。」と、ジョンが殺されたときまだ12歳だったシニード・オコーナー(Sinead O’Connor)は言った。そしてジョンは、1979年の『ローリング・ストーン』誌とのインタビューで、64歳になったらなにをしていると思うか、と尋ねられると、「アイルランドか、どこかそんなところの海辺に住む、ステキなカップルでありたいね。そして、昔の騒動をスクラップブックで眺めるのさ。」と答えた。


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