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ジョン追悼イベントが世界各地で開催された


この日、ニューヨーク・セントラル・パークでは、ファンたちによる追悼集会がオールナイトで行われる予定だったが、最終的にジュリアーニNY市長の許可が下りず、例年通り公園の閉まる午前1時までとなった。
今年は20年の記念の年ということで、イギリス・リバプール市長からも直々に公園の帰営時刻延長を嘆願されたジュリアーニ氏であったが、「いろいろな危険が生じる可能性もあり、それによる警備増員も並大抵のものではなくなる。」と説明。集まった何百人というファンからは不満の声があがった。

このセントラルパークのすぐ脇にあるジョンの自宅ダコタ・ハウス(ジョンが撃たれた場所でもある)には今も妻ヨーコが暮らしており、この日部屋の窓にはろうそくの灯が一本だけ静かに灯り、ヨーコ自身も部屋の外に出ることもなく、静かに亡き夫の20回目の命日を過ごした。

一方、ジョンの故郷イギリス・リバプールにある、ジョンが少年時代を育ての親である叔母ミミとともに過ごしたウールトンの家の前には、ファンをはじめ今もなおリバプールに住む親戚の人たちが顔をそろえた。
イギリスでは、かつて著名人が住んだ家にその足跡を記す青いプレートが貼ってあるのをよく見かけるが、今回このウールトンの家にもジョンが「1945年から1963年の間ここで暮らした」というプレートがつけられ、国の文化遺産に指定された。ジョンの従兄弟にあたるスタンレイ・パークス氏は「僕たちにとっても、ここにこうしてまた戻ってくることは、とても感慨深いものがある。」と話した。

また、ジョンの生家があったイギリス・リバプールのマシュー・ストリート(Mathew Street)にもたくさんのファンが集まり在りし日の彼を偲んだ。そのなかで彼の叔父であるチャーリー・レノン氏(82歳)は「世界を震撼させた男、ジョンの輝かしき想い出に・・・。」というメッセージとともに、現在その生家跡に建つジョンの像に20コのバラでできた花冠をたむけた。
チャーリー氏は「あんなにも若くして逝ってしまったことには、運命の残酷さを感じる。生きていればすばらしい音楽をもっともっと作ったことだろう。彼は小さいときからとにかく音楽に夢中だった。」
「キャバーン・クラブがいちばんのお気に入りで、あそこで演奏することが大好きだった。だからアメリカよりも、ここの方がジョンにとっては思い出深い土地なんだ。」と話した。

そのビートルズがかつて演奏していたライブハウス「キャバーン・クラブ」の近くには、縄で縛られた拳銃の像が建立され、銃犯罪の悲劇を訴えている。この像は、かのノーベル一家の長男、マイケル・ノーベル博士が会長を務める「ノン・バイオレンス基金」の活動の一環として同じ像が他にも世界20か国に建てられた。

その他ロンドン郊外にあるビートルズゆかりの地、ストロベリー・フィールズでも追悼の集会が開かれ、キャンドルを手にしたファンが多数集まった。

またこの日『ニューヨーク・タイムス』紙はそのホームページ上にて、音楽評論家アラン・コズィン氏、アルバム“DOUBLE FANTASY”プロデューサーのジャック・ダグラス氏、『ビートルファン』発行人のビル・キング氏、そして映画“Gimme Some Truth: The John Lennon FBI Files”の作者ジョン・ワイナー氏ら4人による座談会を企画。その模様は、ホームページ上でそのまま聴くことができる。

参加したジョン・ワイナーのコメント:
「ダグラスはアルバム“DOUBLE FANTASY”について、まだ誰にも言っていない制作秘話などを話しているので、ぜひ聴いてほしい。
またNPRラジオは、ヨーコとシンシアと僕へのインタビューを明日(8日)再放送するが、これもまたNPRのホームページ上で聴くことができるらしい。それからもうひとつ嫌な話題だが、明日のABCテレビ『20/20』のなかで、犯人マーク・チャップマンの追跡リポートを放送する予定とのこと。
最後に、私たちはこの日を前向きな形で彼を偲び、過ごしたいと思っている。皆さんにもぜひそうしていただきたい。きっとジョンもそれを望んでいることだろう。」

さらにこの日、ジョンを題材にした新作映画“His Life”が、ロンドン市内オデオン・シネマにて出演者とスタッフのみを集めて上映された。この映画ではミルブローにあるデラ・サル・RC高校の生徒たちが、ジョンのヒット曲‘Stand By Me’を歌っている。


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