新着ニュース 英『スコッツマン』紙によると、ポールは「(デ・ファツィ姉妹は)ローマでのコンサートを心から楽しんだから、日記を返したんじゃないかな」とコメント。 姉妹は日記を売ることも考えたが、それにはポール本人からの日記が本物であることの証明書が必要となることがわかり、そのまま保持することにしたという。しかし、「リンダが亡くなり返却することを真剣に考えるようになりました。ポールに日記を返すのはいいことだと思ったのです。彼の承認なしに私たちが持っていてもどうすることもできませんから」と、返却を決意するに至った。 1970年4月8日には、「ポール、ジョンに『僕もビートルじゃない』と告げる」、4月16日には「ものすごい数のマスコミが家の周りをうろつく」と書かれているという。3月26日には「誤解しているのは君だ、僕じゃない。ハレ・クリシュナ」など、ジョージ・ハリスンとの会話の詳細が書かれているという。また、「トマト缶6個、サーモン」と書かれたリンダの買い物リストもはさまれていたという。 姉妹は日記を返すため、ポールが滞在するスペイン階段近くのホテル・ハスラーを訪れた。「ボディーガードに説明しても、信じてもらえませんでした。日記にはさまれていた写真を見せると、彼はそれを持ってポールの部屋に行ったのです。数分後、彼が戻ってきてポールが彼のスイート・ルームで私たちに会ってくれると言いました。ポールは微笑んで『これは僕にとって重要でセンチメンタルな日記なんだよ』と言いました」。
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