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ポール、フィル・ラモーンに悼辞


4月1日、ポールは3月30日に他界したプロデューサー、フィル・ラモーンに対し、悼辞を発表した。
「フィルは長年の偉大な友人でした。初めて一緒に仕事をしたのは、ニューヨークのA&Rスタジオで‘Another Day’を録音した時でした。彼は、エンジニアと制作の両方の知識を兼ね備えた専門家で、とても思いやりのある人でした。彼のことは僕たちが一緒に仕事し、プレイした長い年月以上に、愛され、尊敬されている偉大なる友として、ずっと覚えているでしょう」

最初の2枚のアルバムでラモーンと仕事をしたジュリアン・レノンも追悼のコメントを寄せた。「親しい友人であり最初のプロデューサーだったフィル・ラモーンが亡くなったと聞いて、深い悲しみに暮れています。もちろん、僕の心は彼の家族や友人と共にあります。フィル、僕たちは互いにまた理解しあうところでした。寂しくなります……。みんながそうだと思うけど……。あなたは最高の人のひとりでした……。これからもずっと……。愛をこめて」

他にも多くのミュージシャンが悼辞を寄せた。その一部を紹介する

音楽プロデューサーであり親しい友人であるフィル・ラモーンがニューヨークで79歳で亡くなりました。フィルは僕のアルバム“THE STRANGER”“52ND STREET”“GLASS HOUSES”“THE NYLON CURTAIN”“AN INNOCENT MAN”“THE BRIDGE”、そして2007年にリリースしたシングル‘All My Life’をプロデュースしました。私たちの祈りはフィルの家族と共にあります。フィルがいなくてとても寂しくなるでしょう。私はいつもフィル・ラモーンを私のバンドで一番才能のあるメンバーだと思っていました。ステージには出ませんでしたが、彼はバンドのメンバーでした。彼は一番長く一緒にプレイしたミュージシャンでした――誰よりも。私の音楽の多くは彼によって形作られ、彼によって実を結びました。私は親しい友人であり、偉大なる師を失いました。音楽界は今日、巨星を失ったのです。
〜ビリー・ジョエル

友人であり音楽的天才であり、愛される人でした。フィルと仕事をするのはスリリングで、多くの素晴しい思い出があります。
〜エルトン・ジョン

スターの裏にいるスターのなかのスターでした。偉大なる男で、とても優しく、素晴らしいプロデューサーでした。私たち地球上のみんなにとっては悲痛な損失ですが、天国では素晴しい祝福でしょう。
〜スティービー・ワンダー

フィルの死を聞いて、とても悲しいです。初めて一緒に仕事をしたのは1967年で、私がセントラル・パークでフリー・コンサートを行った時でした。彼の音を録る才能は、すぐに明らかになりました。のちに、私たちは映画“A STAR IS BORN”で共に仕事をし、フィルは私が‘Evergreen’等をライブで歌うのを録音しました。次の10年で、私たちは“YENTL”のサウンドトラックや、その他多くのレコーディングで一緒に仕事をしました。フィルは非の打ちどころのない音楽性、偉大なる耳を持ち、アーティストたちから最高のものを優しく引き出しました。彼のプロデュースした代表作は永遠に残るでしょう。
〜バーブラ・ストライザンド

フィル、あなたはアーティスト、そして世界にとっての贈りものでした。寂しくなるわ。
〜キャロル・キング

友人のフィル・ラモーンが亡くなったことを聞き、とても寂しいです。最初に会ったのは1968年、A&Rスタジオでのことで、ザ・バンドは“MUSIC FROM BIG PINK”を作っていました。私は今、あなたと昔一緒に仕事をしたアルバムを新たにミックスしています。あなたは真の音の天才で、素晴しく、多才なレコード・プロデューサーでした。これからは、あんなふうには作れないでしょう。神の御加護を。
〜ロビー・ロバートソン(ザ・バンド)


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